あなたはどちらの道を選びますか?

小野寺玲

 

 中学校で私が不登校になったとき、多くの人に説教をされた。説教は決まって「なぜ学校に行かないのか?」から始まり、「学校は行くべきだ」で終わった。なぜこんなにみんな同じことを言うのかと思った。私の知らないところでこっそりと台本を共有して、読み合わせの練習でもしているのだろうか?

 それは、とてもとてもつらいものだった。息が苦しく、酸素が半分くらいになったように感じた。酸素が半分の世界で生きるのは、簡単ではない。なのでそれ以上苦しくならないよう、あまり人と会わず、少しでも楽しみを感じられるゲームをして過ごしていた。そのような状況で将来のことを考えるとか、勉強をするとかいうのは苦しいことなので、ほとんどしなかった。

 

 高校はフリースクールに行った。多くのフリースクールは、不登校や勉強をしないことに対してあまりネガティブに捉えない。私の行ったところもそうだった。すると、普通に学校に行くようになり、勉強もするようになった。不思議だ。私は学校に行くことや勉強することを強要する環境で、そのどちらもできなかった。そして、それらが強要されない環境で、そのどちらもするようになった。

 

 確かに自分が天邪鬼な性格なのは認めるが、逆を突くためにそんな根本的なライフスタイルを変えるほど筋金入りのアナーキストではない。パンクロックは好きだけど、ギターをへし折るほどじゃない。ギターがもったいない。結局なぜそんな風に変わったのかは、分からなかった。

 

 

 最近ある本を読んでいて、その答えになるようなことが書いてあった。

 

 その本には、こんな研究が紹介されていた。試験を受ける前に自分の人種や性別を答えさせると、その人種や性別が「苦手と思われている」科目の点数が大幅に下がるという研究だ。例えば、「女性は数学が苦手だ」と思われている社会があったとする。そこで、数学の回答用紙に自分の性別を答えさせる欄を設けると、女性の数学の成績が驚くほど下がるのだ。

 

 このような研究は数多くあり、レッテルを貼りの影響の大きさが明らかになっている。それは試験の点数だけの話ではない。レッテル張りによって、物事への向き合い方が変わり、人への接し方が変わり、生き方そのものが変わる。レッテル貼りは、本人の自己認識を変え、自己認識は私たちの人生を変えるのだ。

 

 この研究はネガティブなものとして捉えるべきだろうか? もちろんそういう面もある。だけど、逆に言えば、ポジティブなレッテル(視線といった方がいいかもしれない)に、大きな力があるということでもある。そう。先ほどの研究には裏話がある。ポジティブな特性があると自覚させられた人たちは、大幅に良い結果を残すのだ。

 

 私に起きたことは、きっと同じようなことなのだろう。私はネガティブな視線が嵐のように吹き荒れる中で、前向きに世界を捉え、生きていくことができなかった。そして、ネガティブな視線が消えた途端、色々なことに積極的に取り組むようになった。あの説教が台本によってなされていたのだとしたら、あれは良い台本ではなかった。それがどれほどの善意で書かれたものだとしても。

 

 

 この話の教訓はなんだろうか? 私はこういうことではないかと思う。私たちの前には、2つの道がある。

 

 ネガティブな視線によって誰かの可能性や幸せを弱める生き方と、ポジティブな視線によってそれを高める生き方だ。

 

 自分の中にあるレッテルを把握するのは、難しいことでもある。それは、音もなく私たちの心に忍び込んでくる。だけど、きっとやる価値はある。フリースクールに行くことで私の人生が変わったように、それは人生を一変させるほどの力があるのだから。